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のぼかんHP 2月号更新しました



2月1日更新「のぼりです」のタイトルは『三角屋さん』です。

上(のぼり)先生の故郷鹿児島県の当時の情景を思い浮かべながら読み進めてみてください。今月も生きるヒントを沢山いただきました。

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「三角屋さん」


私の故郷に『三角屋旅館』というのがあった。 当時人口3000人位の集落に一軒のみの旅館であった。 町の中程にある三叉路に面しており、今となればこの地形からの屋号なんだろうとわかるのだけども、子ども時分にはなかなかそこまで思い至らずだった。 まずは学校に入ったころまでに自然と覚えていったのが『さんかっじゃー』とする、大人の呼び方である。 『さんかっじゃー』から右に折れて港に向かって5軒目の家とか、『さんかっじゃー』の裏の家、とかそんな大人の会話の端々を足してはああ『さんかっじゃー』という名の旅館、つまり他所から来た人が泊まるところなんだなと、認識していった。 『さんかっじゃー』の呼び名がおかしいとも何とも思わないから、少しは大人の会話の一端に加われる事が、自分なりにはちょっぴり誇らしい気分となる。 それでも時々連む年上の従兄弟に『なんでさんかっじゃー』と言うんだと聞いても、怪訝な顔して『さんかっじゃーだから、さんかっじゃーだよ馬鹿』となる。 だいたい親に聞いても、よその人に聞いても、当時はそんな気風の時代環境だったから、誰かに聞いてつっけんどんにされるより、怒られるより、自分の疑問は何かしらの方法で自分で考えきっては、正解に近づくのが傷つかず間違いもないと自然と思うようにもなった。 小学校に上がりだんだん字も覚えてくると、看板の『三角屋旅館』の正式名称が読めるようになり、意味の理解も続くようになると、自分としては凄く満足で今でいうハッピーな気分になる。 4才下の妹が何かの折に同じように質問してきた時に、これこれこういう事なんだよ、と教えたら『ふ〜ん』と言ったっきり一件落着の顔をする。 結構な過程を経てその正論に至った兄とすれば、もう少し関心を示すとかないのか、と思うのだが、4歳の差で時代環境が大きく変わった訳でもないが、よくよく考えるとこの妹はわからないところがあると、うるさがる母の後を追ってでも、自分と同じく怒られようと、何かしら教えてもらうまでは食いついて離れないところがあった。 それを父にも従兄弟達にも近所の大人達にもやる子だった。 私が疑問に思ってた時より4年も後にそんな疑問をぶつけ回る姿を見る訳だから、多少は妹の疑問位は答えられる年齢にもなってる兄は、妹からは物知りの一人で優しく教えてくれる人であり、それでも私の疑問は兄なんかのレベルでは物足りないのよとばかりに、何で何でと聞き回る。するといつか周りも不思議と優しく教えてやっている。 おっかなびっくりでオズオズ聞く兄より、無邪気な女の子にはまずの受け止め方からが違うのだなと、後年になって納得する事が数々。 仲はいいけどそんな積極的な妹を、どこがで大したもんだと思うところもあり、少しは自分で考えろよとも思いながら、やはり自分にあんな真似は出来ないから、普段から疑問を満たすには果てしなく時間がかかっても、自分でその答えは見つけ出すしかないと覚悟は出来てきた。 その間誰かにフッと質問を振られてもわからん事は答えられんし、たまに適当に話しを合わせたりすると、最悪な気分でその疑問の解けるまでを過ごしたりする。 学校の勉強は明らかに教科書もあり、一つの筋道があるから、その流れが分かると大して興味も湧かない。点数が良ければ褒められ悪ければ注意されるが、自分で捻り考え出す『癖』のついてる私には、ほめられたり点数を取るための長時間の集中力なぞあまり価値を見出せなかった。 それでも、知らない言葉や計算方法や楽器の演奏法、知らない世界の話しは凄く楽しくて、ああこの世にはまだまだ知らずにいる事がたくさんあってとても素晴らしいものなんだなと早くから感じたものだ。 興味が湧く事とか試してみたいかは関係なく、そんなたくさんの事象がこの世には詰まってるんだと思うと、なんだか大きくなっていく先の生きる世界への楽しみが、それの不安も広さや深さも含めて少しずつ溜まっていくのを覚えている。 確かに途中先生からの酷い暴力や、打ち込んだ野球部時代の日々の葛藤は、避けえぬ事としてこの身の傷にも滋養にもして来たが、あれから50年以上経ち、以前の事柄を紐どくと何かを達成した場面の経緯よりも、知らぬ事わからぬ事を抱えていた時代の心細さをよくよく鮮烈に覚えているものだ。 それでも小学一年生の孫が同じような不安を訴えて来た時、『一つ一つ確実に覚えていけば大丈夫なんだよ』と答える。 今ならその不安はこの先こう変わり、こんな障害もあるけどそこらはこうしてああしてと、「安心の説明」もしてやれるのだが、やはり自分が考えれるうちは考えろよと話してしまう。 100点取れなくても大丈夫なのと聞くから、うん80点取れればいいよ、出来れば間違った20点の理由がわかる事の方が大事なんだよ、と言う。 今は完璧にわからない自分が嫌だと言う孫への答えに相応しい話かはわからないが、まぁこの私に聞くんだから私の返事をしてやるしかない。 そのうち『おじいちゃんとはテンションが違う』と確信する様になれば、またそこから自問自答するだろうからそれで良い。 『過去と他人は変えられん』という一つの台詞も、その前の自分への確信を置き去りにしての人生に当然としてある、思う通りにならない事への他者への転嫁や不満の羅列に自身が縛られる事に繋がるし、結局が勝ち負けの社会での価値観に踊らされる前提としてあり、『自分の人生を生きる』には程遠いからだ。 積極的であれ牛歩の如しであれ、自らへの納得を良として自然体だとすれば、学ぶ時は学び出した結果を確実に納得する事の大事さ、つまりその時間を有意義と思える生き方ができるかどうかに尽きると思う。それはそこに至るまでの自問自答を経ての認識や確認によれば間違いなく果たせる事、と思っている。 幼な子の記憶にある『三角屋旅館』、一度もそこに足を踏み入れたこともなければ、実はそこが誰さんの経営だったかも知らぬ、確かに朝晩に通る道筋だから、中で立ち働く人の姿は目にしてるのだが顔も声も知らず名前も無論知らず、『眩しいほどの白い割烹着』姿の女性が居たのだけは今でもしっかり覚えている。 果たしてなんて名前でという疑問は、故郷に電話一本すれば済むことだが、知らぬままでわからぬままでいる事の楽しさ、面白さも少し芽生えてきた今日この頃であります。 私の今に至る思考の一つのキッカケのお話しでした。



 
 
 

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